うつ病と身近な私を助けてくれたもの(うつ病は”病気”という再認識)

メンタル

私のパートナーがうつ病になってから、かれこれ5年ほど経ちました。

今となっては何とか5年が経ちましたが(何とか生き抜いてきましたが)、初期の頃は今振り返ってみても、人生において、本当につらい日々であったと感じます。

うつ病の一般的な知識があっても、実際に自分の身近な人が、これまで見たことないような振る舞いや言動をしている状況を目の当たりにすると、様々な感情にまみれてしまいます。

それはイライラであったり、悲しみであったり、恐怖であったり。

正直、この頃は前向きな感情は一切持てませんでした。

そのようなうつ病の相方として苦悩していた初期の頃に、私の心を軽くしたことについて、まずは記載してみます。

ちょっとしたことですが、少しでも誰かの心が軽くなってくれればと思います。

<目次>

・うつ病を”インフルエンザ”に頭の中で置き換えてみる

・うつ病を”インフルエンザ”に頭の中で置き換えてみる

私のパートナーの状態として、うつ病が悪化した時には、それまでの生活の様子からは一変しました。具体的にいうと、朝遅くに起きて、ご飯を食べて、ソファーで寝る、で基本、一日を終えてしまいます。

その時期は、ご飯作り、皿洗い、洗濯、掃除、ゴミ捨て、猫の世話といった家事全般は私の方で実施していました。

パートナーにはうつ病という診断は出ていたので、助けたいという気持ちのもと、相手のために時間を使っていろいろと対応していました。

ただ、日によっては様子が変わって、元気そうに活動する日があったり、好きなゲームを1日中していることもありました。そんなときのパートナーはうつ病になる前の普通な状態に見えていました。

そのような極端な状況もあってか、ある日1人で食器を洗いながらベットに向かうパートナーの背中を見ていた私の中に、「あ、今イライラしているかも」という感情があると感じたことがありました。

怠けているわけではないのですが、ぱっと見そう見えてしまうのです。

イライラしたくないのに、してしまうのです。

相手が”病気”なのに、素人の自分の目に入ってくるものを消化しきれないのです。

そんなイライラやモヤモヤが心の中にありつつも、頭の片隅にある「自分が面倒を見るべき。」という正義感みたいなものが、その場を離れることを許さず、その結果、感情が爆発してしまいそうでした。(パートナーに怒りをぶつけてしまいそう)

そんな時に、頭の中でふと相手の状態を”うつ病”から”インフルエンザ”に置き換えてみました。インフルエンザで高熱が出て、食欲も低下し、ベットに向かっていると想像しました。

そうしたら、頭の中にあったイライラやモヤモヤが一瞬スッとなくなる感覚になりました。そして純粋に、心配な気持ち、助けてあげたいという気持ちになれました。

多分その時は、「病気の人を目の前にして、イライラしている自分」ということに違和感を感じ、無意識に他の病気を持ち出して比べてみたのだと思います。

インフルエンザは自分自身、毎年よくかかり、そのつらさをよくわかっていました。また、インフルエンザに罹った家族を看病した経験もありました。

このような変化を感じたのをきっかけに、なんとなく「あ、もしかしたらうつ病というものをちゃんと”病気”と認識(というか実感)できてないのかもしれない」と思いました。

うつ病は脳の病気であるということを、再度認識して、相手のつらいと感じているもがもう少しわかれば、自分自身も楽になれるかな、とその時に思いました。

長々と書きましたが、初期の私に少しでも変化を与えた認識の話でした。

相手を助けようとしている方の肩の荷が少しでも下りればと願っています。

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